[東京伊平屋会]
昭和34年の春に飯井敏雄さんの呼びかけで諸見孝栄さんらと新宿で歓談し、伊平屋の話に花が咲き
東京伊平屋会]をつくろうとのことになりました。
最初のころは有志10名位で時々集まるくらいでしたが昭和36~7(1961~62)年頃から20~
30名と増えて奄美大島出身の方々も参加するようになりました。
「会」は飯井敏雄、和子夫妻を中心に、第一回の集まりは渋谷区、広尾の安立電気の会議室で行ない
ました。その後、参加者も増えていき昭和38年(1963年)4月には新宿御苑で花見会を開催しました。
「会」の活動が活発になるにつれて、浜離宮、丹沢山系の大山、鶴巻温泉でも開催しました。また、世田
谷の飯井さん宅でも何回も集り、宴会を行いました。特に正月の集まりでは、裏の加藤さん、お隣の桜庭さ
んら近所の方々や、小黒さんらを交え、まるで島の正月祝いのように盛り上がったものです。
東京オリンピック後の昭和43年(1968年)には会誌、[伊平屋渡 第1号],昭和44年(1969年)
に会誌[伊平屋渡 第2号]を刊行しています。磐梯山のふもと、猪苗代湖や静岡県の初島のキャンプ
などは、とても良い思い出となっています。
もう一つの[伊平屋会]
1980年代、伊平屋中卒18期生を中心に横浜市北区綱島を拠点に、草野球試合を軸に若い仲間たちが
中心になり「伊平屋会」活動を展開していました。
綱島の鶴見川河川敷の草刈りをして、自らで手作りの球場を作り、月一度の割合で朝早くから集まったも
のです。この活動については、後日資料が整い次第アップさせていただきます。ご期待ください。
現、[関東伊平屋会の再発足の経緯]
2002年(平成14年)の年初から、かつて活発に行われていた「伊平屋会」を再発足させようと、新垣
裕作氏の呼びかけで打ち合わせが始まりました。
各部落から呼びかけ人を出してもらい、第一回「関東伊平屋会(案)」として、2002年7月14日池袋の
「アリシュール東方会館」で開く運びとなりました。
<呼びかけ人>は下記の方々(五十音順)です。
新垣益清(田名)、新垣裕作(田名)、新垣正津(我喜屋)、新垣清宜(我喜屋)、池田輝雄(前泊)
伊礼安明(田名)、伊豆味文明(前泊)、北添芳子(田名)、 須磨圭子(田名)、名嘉求(我喜屋)
長野真文(田名)、 根路銘肇(前泊)、西銘貞雄(我喜屋)、福村米蔵(前泊)、松堂真幸(我喜屋)
諸見孝栄(田名)、 与儀栄治(田名)
以降、「関東伊平屋会のつどい」として取り組まれる。
第2回「関東伊平屋会のつどい」 2003年9月21日(日)、池袋のアリシュール東方会館
第3回「関東伊平屋会のつどい」 2004年10月17日(日)、鶴見沖縄県人会館
第4回「関東伊平屋会のつどい」 2007年10月28日(日)、鶴見沖縄県人会館
第5回「関東伊平屋会のつどい」 2009年2月22日(日) 東海大学校友会館(霞が関ビル35階)
第6回 ~ 第12回 同所にて開催
第13回「関東伊平屋会のつどい」 2018年4月22日(日) 東海大学校友会館(霞が関ビル35階)
第14回「関東伊平屋会のつどい」 2019年4月21日(日) 東海大学校友会館(霞が関ビル35階)
上記以外に「つどい」の代わりに下記の取組みを会員が一丸となって成功させました。
西江弘 「一之江クリニック開業祝賀会」への全面協力 2005年9月10日(土)(霞ヶ関東海大学校友会館)
諸見喜子琉舞研究所旗揚げ公演 2006年10月22日(日)(町田市民ホール)
** [関東伊平屋会の歩み]の記述は諸見孝栄さんに、加筆を松堂真幸さんに、訂正を新垣正津さんに
[関東伊平屋会の再発足経緯] の記述を西銘貞雄さんにご協力頂きました。お礼申し上げます。